戦国時代の駒場
我、信玄と戦うもそれは弓矢であり魚塩にあらず
新たな時代へ
祈りの年月
我、信玄と戦うもそれは弓矢であり魚塩にあらず
永禄四年の川中島合戦の折には、敵味方の区別なく両軍の兵の霊を弔い、その遺品を丁重に上杉方へも送り届けたのでした。高坂弾正に他者を敬う心根が感ぜられ後に「我、信玄と戦うもそれは弓矢であり魚塩にあらず」と上杉謙信。塩不足に困窮する甲斐に塩を送り届けるという行為に連なったのです。
しかし天正6年5月7日、高坂弾正は病のため武田家の終焉を見ることなくその生涯を閉じました。信玄と同じ53才でありました。